070915 明日へ架ける橋(習作)
やれやれ、本来このタイトルの一文は、このサイトが「終わるとき」に掲載されるはずのものでした。 無印からずっとクックを狩ってきて(あるいはそれは1000のオーダーにもなるでしょう)、それでもMHFで「いよいよクックと戦えるぞ!」と素直に思えるのがモンスターハンターの持つ底力です。そんなゲームが、あるいはゲーム以外の何かが一体どこにあるというのでしょうか。 |
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創発
創発とは、あるシステムが線形的な成長をたどった末に、その各要素のパフォーマンスの総和を大きく上回る総体を非線形的に発現する、という現象を指す言葉です。複雑系の学問に従事されている方やシステム論などを手がけている方達にはおなじみですな。 ビデオゲームの世界にかつて「ゼビウス」という創発が起こりました。擬似的な無限性を持つ「スクロールするマップ」という発明を武器に、そのスクロールマップを活かしきった敵・味方のアクション、ドットによるグラフィック表現を活かしきった作画・動き、そのスクロール性に完全にマッチした音楽など複数の要素が最初にして完成されていた事例です。 |
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ゼビウスほどのインパクトはないにしても、その後の日本型RPGの開発(ドラゴンクエスト)。3Dグラフィックによるゲーム世界の記述(FFVII)などの際に、それぞれがいきなり完成形として姿を現しているのが見て取れますね。これらもやや小規模の創発があった例といえるでしょう。
このような「創発」現象の特徴として、部分の突出ではなく、全体が従来のあり方を大きく超えて完成した形でいきなり出てくる、というものがあります。ゲームに限らず、人間の活動(文化的な活動)に範囲を絞っても「いきなり完成形が現れ、その世界を一新してしまう」という現象がままあることはお分かりでしょう。 |
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端的に言いましょう。 贔屓の引き倒しではありません。「その予想」を確かめるために中の人はモンハンを始めたのですから。おそらく無印を開発したスタッフの本音を聞いていったら、「なぜアレを完成させることができたのか、実は良く分からない」という感想が出てくるのではないかと思っています(インタヴューとかじゃ出てこないでしょうが)。 |
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それほどまでにMHの世界は飛竜・それを倒すための武器・それを扱うハンターの所作・造形・その一切を取り巻く環境・景観・そして音楽、というすべての要素が完成され、またそれぞれの関係性までもが(前例のないままに)完成されて世に出てきている、様に見えます。
これが一人の人間の描いた設計図から出てくるなどとは中の人には到底考えられません(最近刊行されているファミ通では藤岡氏を強力に取り上げてますが)。無印を作る各パートが、それぞれの領域でほぼ同時に従来のゲームの枠を超えるブレイクスルーを果たし、それぞれのブレイクスルーの方向が見事に一点を穿った。おそらくそれが無印の開発時に起こったことです。 |
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越えられない壁
そして、これがまさに後続のシリーズが、常に「無印が良かった」と言われてしまうこととなる原因となっています。特に無自覚的に起こった創発現象の特徴として、系が「閉じてしまう」傾向があるからですね。いわゆる「一代限りの」と言われる現象がそうで、そもそもシステムが過不足なく自己完結してしまっているのです。前述のRPGは、その点を「ストーリー」というパラメータを変動させることで乗り越えてきました。しかし、アクションに重点を置いたゲームはそれができません。 MHシリーズ最大のウィークポイントがこれです。完成・完結されたものに何かをつけ加えるならば、それは完結している系を崩してしまうか、すでに存在する要素のバリエーションになるかするだけです。 |
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具体的に言うならば、すでに存在する要素のバリエーションとして登場したのがMHGであり、完結した系を崩す付け足しが行われたのがMHdosです(古龍だけの話ではありません)。おそらくMHdos(2)の開発決定が先にあり、そこまでの時間稼ぎとしてMHGの開発が指示されたのだと思いますが、皮肉なことにMHという完結した系を崩さなかっただけ傷が浅かったのがMHGであり、これがMHdos、MHFからの「先祖がえり」を発生させている理由です。
余談ですが、無印のゲームシステム(アイテムの取り扱いなど)に比べると、後続のシリーズはその点は非常に良くなった、進歩した、と良く言われますし、実際そうです。しかし、これが欠陥の補完かと言うと疑問です。おそらく無印という「生」の完成形を「食べやすいよう調味料を加えた」形が後続のシステムであり、その味付けは完成された料理への方向性ではなく、ジャンクフードの食べやすさに近似する方向性なのだと思います。 |
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いずれにせよ、そのような「越えられない壁」である(開発陣の)無印への自覚と敬意(そして苦悩)は、少なくともMHG〜MHP2ndの中に見て取れました。そして、おそらく、その「畏れ」がなくなってしまったところに出現したのがMHFなのです。
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完成度
中の人が知る範囲でも、家庭があり、仕事も忙しい方達が日に3時間4時間を割いて年間1000時間に及ぼうかという時間をゲームに費やしています。これは決して特殊なケースとは言えないでしょう。そのくらいはもはや普通にありうることなのです。 何を言い出したのか。 |
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では、ゲーム開発の現場が背負うべき「責任」とはなんでしょうか。
それは「完成度」に収斂すると言って良いでしょう。善良である必要や健全である必要や「役に立つもの」である必要はありません(…多分)。あるユーザーから胸を張って膨大な時間をぶんどれるのは「完成度」に対するプライド、それだけではないでしょうか。 逆に言えば、そのような「完成度」にプライドもって取り組む開発者がいたから、ゲームはここまで来たのです。ゲーム会社が利益を追求するためだけに乱発する値段相応のゲームだけがすべてであったら、こうはなっていません。 ポイントオブノーリターン。ゲームタイトルのいくつかはすでに「完成度」抜きにはリリースしてはいけない領域に入っています。そして、一定の完成度に達したものは、それを維持する努力無しに手を出してはならないでしょう。多くの人から多くの時間を奪う、ということはそういうことです。 |
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最初から間違っていた
MHFに関してはそもそも中の人がやってるわけでもないので、何を書いても「人ごと」になってしまいます。しかし、人ごとの岡目八目だから書けることもあります。 ぶっちゃけますと、MHFは猟団の形成を促し「抜けられなくする」ことに最大の焦点を置いてスタートしています。それそのものは経営として当然アリなのでさておきますが(もっとも「イチ抜けた」を言えない日本人気質を逆手に取ってるきらいはありますが)、問題はその方策としてPTでないと倒せないモンスターの設定をしてしまったことです。これも難しい点ですが「PTでないと倒せないモンスターの設定」そのものは問題ではありません。そういう仕様なのです。問題なのは、そのベースに用いた「モンスターハンター」は、そういう風にできているのか、ということです。 |
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できていないのです。
え?モンハンは一人で倒せない飛竜に仲間と協力して挑むゲームでしょう? |
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テレビゲームもしかり。もちろんモンスターハンターもしかり。
それが自分にできることではないと思っても、Gクラス・上位クエストをソロで狩ってのけるハンターを眺め、口に出さなくても「そうなった自分」を前方に見ながら狩りをするのがモンハンだったのです。倒せなくても良いのです。自分が倒せなくても、倒せる人がいて、その人と同じチャレンジができる、そこが重要だったのです。だから、これまでのシリーズは、極限まで方法を精錬すればソロ討伐が可能である、という作りになっていたのです(※)。 モンハンは、PTで狩りをするゲームですが、その仕組みは究極において「ソロ討伐が可能」という頂点を据えてはじめて上手く回る様にできているのです。 |
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しかし、MHFではその従来の「ソロ討伐」という理想像をパージし、そしてその後を埋めませんでした。MHFでは、ハンターは何に挑めば良いのでしょう?
格好の良い武器や防具の収集でしょうか。 それはモンハンである必要があることでしょうか。 人より速くランクを上げることでしょうか。 それはモンハンである必要があることでしょうか。 チャットで楽しむことでしょうか。 それはモンハンである必要があることでしょうか。 そのようなゲームにしたかったのならば、従来シリーズをベースにすべきではなかったのです。また、従来シリーズをベースにするのならば、そのようなゲームにすべきではなかったのです。手を出す資格のないものが手を出してはいけない完成度。そういったものはゲームと社会の関係においてすでに明らかに存在するのです。それをやってしまったのがMHFの運営なのでしょう。 |
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無印が何において(何をコアとして)完成形として世に出たのか、もう一度詳細を見直すべきです。創発により完成した無印は、そう簡単に他の形態へシフトさせることができないのです。まさにそれを証明して見せたのがMHFでした。
(※)ここも誤解の発生するところですが、何も「ソロ討伐」が絶対の条件であるわけではありません。要は憧れることのできる狩りの理想像が眼前に成立していれば良いのです。今までは「ソロ討伐」をその理想像を形成するための要素として組み込んでいたのですね。 |
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明日へ架ける橋
はじめに戻りますが、無印モンハンが中の人の言う様に創発によって「閉じられた系」として完成を見たものであるならば、その続編の作成は困難です。そしてそれはまさに後続のシリーズが証明してみせたことでした。 では、続編に期待はできないのか。と言うとそうでもないのです。 |
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このあたりにヒントがあります。無印の完成度を強調してきましたが、それはあくまで完結した系が成立している、ということであって、無印そのもののプログラムに介入する余地がないか、と言うとそうでもない、のです。要するに無印開発だって現実的に時間が限られていたわけで、「作りきれていない余地」みたいなものは当然あるのですね。その代表的なポイントを上手くついたのが「飛竜種以外」という作業でした(このあたりも「飛竜の上位互換」として投入された「古龍種」の失敗がある種の証明になってます)。
そして、それと対照的な余地が、各モンスターの作り込み、でしょうか。 |
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余談ですが、実は、これをやろうとしてるんじゃないかと思わせる動きはMHP2ndでちょっと見られます。何気に個体によって鳴き声が違うんですね、あれ。それだけでは見かけだけの違いですが(ほんのちょっと行動にバイアスがかかっている気もしますが)、「個体差」を作りたい、という動きがあることへの期待は持てるんじゃないでしょうか。
また、ソロ討伐。先に書きましたが、狩猟の理想型が「ソロ」である必要はあまりありません。なので、中の人は当初MHFはツーマンセルによるコンビネーションを極端に精錬することで討伐が可能になる、という仕掛けなのかと思っていました。今にして思えば、そこまでちゃんとした設計思想はなかったようですが。しかし、これもひとつの手ではあると思います。そのような調整にするだけで、ソロ討伐に必要だった諸々の要素に加え、立ち回り・アイテム使用・索敵などなどの要素でコンビネーションをどう工夫してゆくか、という視点で新たな討伐スタイルの確立へ向けた挑戦が始められます。先に書いた様に究極の狩りというのも「紹介」されないと意味がないので、その点でもツーマンセルが限度かと。3人4人のコンビネーションなんかはちょっと記述し難いですな。 |
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以上は「モンスターの作り」に関しての「工夫の余地」ですが、フィールドについて、武器について、世界観全体についてもあれこれ考えられる点はあるでしょう。このあたりの詳細は、それこそ中の人がMHP1st2ndを「やり尽くして」みないことには何とも言えない点ですが。 いずれにせよ、このあたりの工夫は、むしろ「この時点までで行われるべきだった」もので、これから行われるべきものはもっと上を行ってもらわないと困るんですが。 |
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無印からずっとクックを狩ってきて(あるいはそれは1000のオーダーにもなるでしょう)、それでもMHFで「いよいよクックと戦えるぞ!」と素直に思えるのがモンスターハンターの持つ底力です。そんなゲームが、あるいはゲーム以外の何かが一体どこにあるというのでしょうか。モンスターハンターが創発によって到達した何かとは、そういうものなのです。その何か(モンハンのコア)を取り出し、より長い時間をかけた展開が可能な開放系として再設計する。それができるのは最初のモンスターハンターを作った人たちだけでしょう。 |
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「(尻尾切りのシステムが実装されて)はじめてレイアの尻尾が切れた時は、みんな大喜びでそれに群がっちゃってね。早く剥ぎ取りしたいものだから。そこでふと我に帰ると怒り狂ったレイアが尻尾に群がったハンター達にブレスをボンって。あの時のレイアの顔は一生忘れません」 ハンターなら誰もが頬を緩ませる光景でしょう。上のセリフが藤岡氏。下のセリフが一瀬氏のものです。ともにシリーズ開発陣の核であると同時に「最初のハンター」なんですね。 |
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おわりに お読みになられたらお分かりの通り、まとまりの無いままの(いつものことですが)この一文を急に上げる気になったのはMHFのあまりに不甲斐ない現状に対するリアクションです。 創発という現象は、そう簡単に再現できるものじゃありません。巷間のモノの本には創発を誘発する組織づくりだのなんだのと夢物語が書き連ねてあるものも多いですが、人のリニアな意図を超えて発現するから創発なのです。 |
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今までにも書いてきたことですが、モンハンが他の諸々のゲームのうちのひとつという存在を超えて、単独のカテゴリとして「生涯ハンター」を可能とする存在なんじゃないか、そう考えるその根拠が「それを可能とする領域に創発した」のではないかという予想です。もしそうならば、それはゲーム史におけるエポックメイキングとなる出来事なのです。 ネットゲームとして超長期の取り組みを可能とさせる要素は、そのコアの中にあるはずで、手を出す資格のない誰かが浅はかな何かを「つけ加える」ことで成立するものではないはずなのです。 モンスターハンター。 願わくば、すべてのハンターがその正当な続編に遊べる未来があることを。 |